「筋トレ的なマインドフルネス」と「オーガニックなマインドフルネス」
1st -5th Sep 2018, Myoshinji Temple, Kyoto
Mind & Life International Research Institute
9月1日から5日にかけて、京都の妙心寺で、Mind & Life Institute主催のInternational Research Instituteがありました。
若手からトップクラスまでの、Contemplative Study (観想研究)に関わる様々な分野の研究者70人が、世界中から集まりました。
朝6:00からヨガ、7:00から瞑想を実践し、日中は1時間程度の講義やディスカッションを繰り返し、夜20:30から瞑想を実践して1日が終わるというとても濃密な内容でした。
最終日に、慶應大学のYuki Imotoさん司会のもと、立命館大学のYuta Kaswasakiくんと、Touro University CaliforniaのHiroe Huさんと、若手パネルディスカッションをしました。テーマは、日本における観想実践についてでした。
ディスカッションでは、「筋トレ的なマインドフルネス」と「オーガニックなマインドフルネス」というキャッチーな言葉を使って、これからの日本の教育現場などにマインドフルネスを導入する際に考慮してもらいたい点を議論しました。
筋トレ的なマインドフルネスとは、マインドフルネスに関する特定の機能を直接育むことを意図してトレーニングをするタイプのマインドフルネスです。例えば、集中力を育むことを意図して呼吸に注意を向ける訓練や、身体感覚に気づくことを意図して身体感覚に順番に注意を向ける訓練などです。一方、オーガニックなマインドフルネスとは、マインドフルネスに関する特定の機能を育むことは意図していないにも関わらず、日常生活を送る中でそういった機能が自然に身につくタイプのマインドフルネスです。例えば、俳句を習い始めた人が、街の中を歩いているときに、自然と、花のつぼみや落ち葉の色、夕陽の影や月の光、虫の音や川のせせらぎに気づく能力が身についたり、それとともに心の中に生じる穏やかな感じや、儚い感じ、切ない感じなどに気づく能力が身についたり、さらにはそれらを客観的に眺めながら言語化する能力が身につくといった感じです。
どちらのタイプのマインドフルネスが優れているという話ではなくて、どちらのタイプのマインドフルネスも必要なのだと思います。International Research Instituteに講演にきてくれた次期家元の池坊専好さんの話を聞いていて、まさに両方のマインドフルネスが必要なんだと感じました。華道では、毎日毎日同じ型を繰り返すそうです。そうすると、「はたからみると変化がなくて面白くないと感じられるかもしれないが、同じ型を繰り返すが故に、その時その時の自分の内面の変化に気づけるようになるのだ」と言われていました。これは筋トレ的なマインドフルネスに近いのではないかと感じました。また、「草木の命の姿をとらえ、美を見出すために、野山にでて、自然の現れを観察するのだ」と言われていいました。このようなことを繰り返すうちに、生活の中にある草木をも自然に観察するようになるのではないかと感じ、ここにはオーガニックなマインドフルネスの要素も含まれているのではないかと感じました。
僕は、このような筋トレ的なマンイドフルネスとオーガニックなマインドフルネスはどちらも大切だと考えているのですが、筋トレ的なマインドフルネスばかりに注目が集まって、それがマインドフルネスなんだと理解されてしまうと、オーガニックなマインドフルネスに気づきにくくなるのではないかと考えています。特に、小学校や中学校にマインドフルネスを導入する際には、気をつけなければならないと考えています。そこには、昔から受け継がれてきたオーガニックなマインドフルネスを身につける仕組みがすでに根付いているからです。例えば、「掃除」や「給食当番」、「ベーゴマ」や「だるまさんが転んだ」などです。小学生に筋トレをさせて小学生の身体に必要以上の筋肉を身につけさせることに違和感を感じるのと同じように、小学生に筋トレ的なマインドフルネスをさせて小学生の心に必要以上のマインドフルネスに関する特定の機能を身につけさせることにも違和感を感じます。それよりも、日常生活の中で、様々な体験をする中で、必要な機能を自然に身につけられるような仕組みを作っていくことが大切なのかなと思います。そしてそのためには、生徒よりも先生にマインドフルネスを理解してもらうことが大切なのではないかと思います。
これから、企業や病院、学校や少年院など、様々なところで、マインドフルネスが広がっていくと思うのですが、あまりいそがずに、まずは、リーダーや医師・看護師、先生や法務教官の方々にマインドフルネスを体験してもらうことが大切なのではないかと思いました。
パネルディスカッションのために、Yuki Imotoさん、Yuta Kaswasakiくん、Hiroe Huさんと何度も打ち合わせをして、みなさんのおかげで、面白い考えをまとめることができました。とても楽しい時間となりました。ありがとうございました。
初めまして!
生きていて、不思議に感じていることがあります。
どんなに悪いヒトでも、良いところのない人はいないし、どんなに良いヒトでも悪いところのない人はいないと思っていますが、何かおかしい。
本来、目標や目的を実現するためにエネルギーを注ぐチカラを、どうも別のことに注ぐチカラが生まれてしまう社会や組織ができてしまう。チームワークといいながら誰かを排除したり、イジメたりすることで纏まることをチームワークとしみたり、こんなに人身事故が頻発する現実に慣れてしまったり。
何かがおかしい。
ヒトは社会的な生きもので、インクルーシブで誰にとっても居場所があることが、みんなが幸せに暮らせる世界が実現できる筈な様なのに、どうもなかなかそれが共通の認識や目的とはならない。
そこで人が生きていく(それも楽しく)世界を実現するために、そしてそのために誰かを助けられる人になるには、体力が必要です。身体の鍛え方は運動。では心の鍛え方は?とずっと考えています。何かがおかしいと感じながら、主体的にそれらをとらえて考えていけるチカラを育む方法(心の鍛え方)を模索しています。もしかすると、藤野先生からそのヒントが見つけられるかもしれません。