ありのままに見守るということ

もやもやについて文章を書きたいなー、その背後にあるヴァルネラビリティやネガティブケイパビリティと、マインドフルネスの関係について文章を書きたいなーと思っていたのですが、いったん書き始めると長くなるやろなーと思い、書き始めるのを躊躇していたのですが、Facebookで回ってきた、泣き叫ぶ幼児をありのままに見守る父親の動画を見たときに、この動画にその文章を添えてみたいと思い、やっと書いてみました(動画はこのページ上では表示できませんが、Facebookで見るをクリックするとFacebook上で見ることができます)。長くなりますが、興味のある方は読んでみてください。

僕たちは日々様々なもやもやを感じて生きています。おそらく、今まで、もやもやを経験したことのない人はいないと思います。このもやもやってなんなんでしょうか?ざっくりというと、もやもやは理想と現実のギャップから生じるのだと考えられています。理想通り生きていければ、もやもやは生じないかもしれません。あるいは、そもそも理想を持っていなければ、やはりもやもやは生じないかもしれません。でも僕たちは、意識的・無意識的に理想像や自己観を作り上げており、それらと現実のギャップが生じたときに、葛藤あるいはもやもやが生じるのだと考えられているのです。
では、そういったもやもやを完全にコントロールできる人はいるのでしょうか?心理学では、基本的に、感情を完全にコントロールすることはできないと考えられています。また、私たちは、そういったもやもやを、今後一切感じずに生きて行くことができるのでしょうか?おそらくそんなことはできなくて、これまでもこれからもずっともやもやと付き合っていかなければならないのだと思います。そのような一生付き合っていくもやもやをネガティブなものとして、価値のないものとして捉えて、避けたり、押さえつけたり、見ないふりをしたりしながら生きて行くのか、それともポジティブなものとして、価値あるものとして捉えて、避けることなく、押さえつけることなく、ありのままに見守りながら生きていくのか、どちらのほうがいいのでしょうか?

そのようなもやもやとの付き合い方を理解するために、もやもやをヴァルネラビリティとネガティブケイパビリティの観点から見てみたいと思います。
ヴァルネラビリティとは、辞書的には、“脆さ”や“傷つきやすさ”のことを意味します。ヴァルネラビリティを詳しく研究しているブレネー・ブラウンは、『不確かでリスクのある状況で、不安・恥・悲嘆・悲しみ・失望が生じる。そうなるのは不可抗力だが、それにどう関わるかは選ぶことができる。鎧をみにつけるのか。生身の自分をさらけだすのか。深い関わりやつながりを求めるなら、生身の自分をさらさなくてはいけません』と言っています。また、スティーブン・マーフィー・重松さんは『自分の弱さを体験する時、それは人生を支えてきた意味や目的が予期せず崩壊する時である。ヴァルネラビリティはひとつの知の形だ。自分の世界観や妥当・正解・明白・普通のやり方についての前提を疑うことで、劇的かつ根源的な意識や視点の変容を招く』と言っています。
これらはどういう意味なのでしょうか?ヴァルネラビリティは、一見すると、なんだかネガティブなイメージが強い言葉のようにも思えます。しかし、具体的に考えてみると、実はそれほどネガティブなイメージが強い言葉ではないことがわかってきます。例えば、可愛らしい子犬を思い浮かべてみてください。その子犬にネガティブなイメージがあるでしょうか?ヴァルネラビリティというのは、子犬全体の中の脆く傷つきやすいという1つの性質を表している言葉なのです。私たちのこころをその子犬だとすると、そういった子犬の状態で人とコミュニケーションをとることができれば、それは幼稚園児同士が遊ぶように、より深い関わりやつながりができるかもしれません。しかし、そのような子犬むき出しの状態で、学校や会社に行くと、様々な刺激によって、多くのもやもやが生じてしまいます。そのため、私たちは、表情をつくったり、言葉遣いをかえたりして、鎧をみにつけるのです。そうすると、もやもやが少し減ったり、もやもやを他人に見られずにすんだりするようになります。ただし、鎧によって、様々なものに無感覚になったり、その鎧を通して世界を見るようになったり、その鎧が自分自身だと思うようになったりもするのです。そうして、中には、鎧の方をどんどん強化していくことに力を注いでしまい、子犬を育てて行くことを忘れてしまう人がでてくるのかなと思います。
それでは、どうすれば子犬を育てていくことができるのでしょうか?ブレネー・ブラウンは、『生身の自分をさらす』ことをすすめています。しかし、ここで気をつけなければならないことは、何をさらす、さらけだすのかということです。中には、もやもやそのもの、不安・恥・悲嘆・悲しみ・失望といった感情を表現することだと思っている人もいるかもしれません。しかし、そうではなくて、ここでさらすべきなのは子犬そのもののほうなんですね。しかし、そもそも自分の中の子犬ってなんだかわからないんですよね。僕らの手元にあるのはもやもやだけなんです。じゃあ、どうやって子犬をさらせばいいのでしょうか?その方法の1つが、もやもやをありのままに見守るということなのです。スティーブン・マーフィー・重松さんは、『自分の弱さを体験する時、それは人生を支えてきた意味や目的が予期せず崩壊する時である』と言っています。つまり、そういったもやもやに気づくことで、初めてそこに理想と現実のギャップがあることに気づけるのです。そして、そういったもやもやをありのままに見守ることで、自分の世界観や妥当・正解・明白・普通のやり方といった鎧が少しずつ取れていくのです。

ここまでのことをざっくりまとめると、私たちは、もやもやをなくすことはできないけれど、もやもやとの付き合い方を変えることによって、他者とのつながりかたや、自己観や世界観に変化が生じる可能性があるということを説明してきました。つまりもやもやは避けるべきネガティブなものなのではなく、子犬が成長するための非常に貴重な機会なのです。

それでは、どうすれば、もやもやをありのままに見守ることができるのでしょうか?詩人のジョン・キーツはそのような能力のことをネガティブケイパビリティと呼びました。これは、事実や理由を性急に追求することをせず、不確実・神秘・疑惑の状態にとどまっていられる能力のことです。例えば、得体のしれない自然現象に出会ったときに、それまでの知識をもとに頭でわかったふりをしてしまうと、自然に対する理解は深まりません。そうではなくて、頭でわかったふりをせずに、そのわからないというもやもやしたあいまいな状態にとどまり続けることで、自然に対するより深い理解にたどり着けるようになります。彼は、詩人にはこのような能力がとても重要であると説明しています。また彼は、シェイクスピアはこのような能力が非常に高かったために、人と人の間の感情をわかったつもりにならずに見守ることで深い人間理解にたどり着けたのではないかと説明しています。
藤田一照さんと話しをしているときに、このネガティブケイパビリティは禅の初心という考え方にとても似ていますねという話になりました。鈴木俊隆さんは、『ビギナーズマインド(初心)とは、初めての人の心、空(から)の心のことである』と言っています。そして『それゆえ、常にどんなことも受け入れられる用意がある心』だと言っています。同じように、スティーブン・マーフィー・重松さんも、『これまでの条件づけに囚われたまま、何かにアプローチしようとする時、私たちの知覚はそれに染められている。自分という荷を持たずに見る時、自分自身を含むあらゆる存在が本来の姿で現れる』と言っています。
このように自分のなかにもやもやが生じたときに、それまでの自分の自己観や世界観でそのもやもやを見るのではなく、そういったものから離れて、ただありのままに見守ることができるようになると、そのもやもやの奥にある子犬が見えてくるようになるのだと言えます。

このような、①「もやもやは避けたり抑制したりする対象ではなく、見守る対象なんだという価値の変容」と、②「もやもやを見守る力の育成」という2つに役立つのがマインドフルネスなのです。ここでは、マインドフルネスが、具体的にどうやって、価値を変容させたり、もやもやを見守る力を育むのかということは説明しませんが、そのかわりに、泣き叫ぶ幼児をありのままに見守る父親の動画を見ていただければと思います。その際、その泣き叫ぶ幼児が、みなさんの中に生じるもやもや、怒りや悲しみであるというふうに見てもらうと、この動画がマインドフルネスについて理解するいいツールになるのではないかと思います。
ここでは、コンパッションについては説明しませんが、その泣き叫ぶ幼児が、実際にみなさんの外の他者であるというふうに見てもらうと、この動画はコンパッションについて理解するいいツールにもなるのではないかと思います。

私たちは、自分の中に生じてくる感情を思うがままにコントロールすることはできません。ましてや他者の感情を思うがままにコントロールすることもできません。しかし、すべての生じてきた感情は、いつか必ず、それは10分後かもしれないし、1日後かもしれないし、1ヶ月後かもしれないし、1年後かもしれないけど、消えていきます。マインドフルネスによってそのことを体験的に理解することで、少しずつ自分のもやもやや苦しみ、他人のもやもやや苦しみを見守ることができるようになります。

長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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